2022年から2024年まで、Jリーグチームのない滋賀県から、Jリーグ入りを目指すチームは3つあった。
長年JFLを戦っていたMIOびわこ滋賀からチーム名、ユニフォーム、体制などを一新した【レイラック滋賀】(JFL所属:Jリーグ4部相当)
滋賀県出身の元Jリーガーである【村田和哉さん】が創設し、一歩一歩着実に歩まれている【ヴィアベンテン滋賀】(県1部所属:7部相当)
そしてもう1チーム、滋賀県で初めて【Jリーグ】参入を目指すチームとして立ち上がり、関西1部リーグ(5部相当)で長年戦い続けていた【レイジェンド滋賀FC】
MIOびわこ滋賀からのリブライディングで立ち上がったレイラック滋賀、元Jリーガーがサッカーを通じて地域(人材)づくりにも尽力するヴィアベンテン滋賀。話題になることが多い印象の両チーム。
対してレイジェンド滋賀の印象は、滋賀県のサッカーファンであれば【滋賀FC】の印象が強いかもしれない。
MIOびわこ滋賀(レイラック滋賀)のファンであれば、J入りを競うライバルチームでありつつ合併協議の報道の記憶があるかもしれない。
守山市民であれば、守山侍との【守山ダービー】の結果を知っている人がいるかもしれない。また、ヴィアベンテン滋賀の前にいずれ立ちはだかるチームと見ている人もいるかもしれない。
自身もレイジェンド滋賀=滋賀FCのイメージであった。しかし取材を通じて、そのイメージの誤りに気づくとともに、また一人物の漢気(バイタリティー)によって動いた滋賀のサッカー史の一部を知ることに。
レイジェンド滋賀FCのプロフィール
チーム名の【レイジェンド(LAGEND)】はレイク(Lake:湖)とレジェンド(Legend:伝説)を合わせた造語で、滋賀県を中心にクラブが発展を続け、遥か未来に「湖の伝説」として語り継がれて欲しいという願いが込められているようです。2012年に一般公募により決定しました。
2008年から関西サッカーリーグを主戦場にし、16年間継続してこのカテゴリーで戦い続けていました。リーグ戦の最高成績は2024年の1部2位で、全国社会人サッカー選手権へは7回出場(最高成績は2回戦敗退)しました。なお、天皇杯は県内チームの高い壁に阻まれ一度も出場しませんでした。
年月 | 主な出来事 |
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2005年2月 | 「滋賀からJリーグを目指す」サッカークラブを滋賀県サッカー協会が設立。「滋賀FC」として、 滋賀県サッカーリーグでの活動を開始 |
2008年1月 | 関西サッカーリーグに昇格 |
2010年2月 | 「滋賀FC」と「FC TOJITSU SHIGA」の2クラブが合併、「TOJITSU滋賀FC」として再スタート |
2012年2月 | クラブ名称を一般公募し、63点の応募の中から、「レイジェンド滋賀FC」を採用 |
2014年1月 | レイジェンド滋賀FCの育成組織「レイジェンド滋賀FC U-15」発足 |
2015年2月 | 「一般社団法人レイジェンド滋賀」設立 |
2017年2月 | 小学生を対象とした「レイジェンド守山ジュニア」発足 |
レイジェンド滋賀FCのあゆみ|インタビュー
前述のクラブヒストリーは、表形式で表せばわずか7行。しかし、この7行の裏にはいくつもの知られざるストーリーがあり、クラブのために地域のために奔走している人達がいた。
ここではレイジェンド滋賀FCに人生をかけていると言っても過言ではない人物に取材を実施。レイジェンド滋賀FCの県サッカー界への貢献はもとより、これまでの苦労、地域貢献などを感じ取っていただければ。