シガラボを立ち上げた2022年シーズンは、滋賀県勢のU18(高校又はJユース)サッカーの活躍が楽しみな1年であった。
なぜなら3年前の2019年、当時中学3年生の世代は県勢初の快挙を成し遂げたチームがあったからだ。
それはご承知の通りMIOびわこ滋賀U-15。3年前のこのチームは、クラブユース選手権(全国大会)に2年連続出場し、Jの下部組織を次々と破りベスト8まで進んだ。
またその大会で得点王となり、メニコンカップ(第25回日本クラブユースサッカー東西対抗戦(U-15))に選出後、メニコンカップで2ゴールを挙げMVPを獲得した滋賀県出身の選手がいた。
東近江市出身の池田怜央(いけだ れおん)である。彼は高校入学時にガンバ大阪ユースに進み、今春同チームを卒団した。
今回U-15日本代表候補、メニコンカップMVPと華々しい経歴を引っさげJ下部組織に挑戦した彼の3年間をはじめ、MIOびわこU-15時代について話を聞いた。
クラブユース選手権得点王、メニコンカップMVPは滋賀のU15チーム初(おそらくJ下部含め滋賀県出身選手初)であり、強豪ガンバ大阪ユース(以下「G大阪」)での日々の生活など、サッカー少年などが羨む経験をしてきた池田選手を掘り下げることで、滋賀で頑張るサッカー少年の今後に活用していただければ。
G大阪での3年間を振り返って
ーー高校の進路選択でG大阪を選んだ理由として南野遥海選手や鈴木大翔選手など同年代のスーパーな選手へのチャレンジというのも一つの理由であったと思います。G大阪での3年間を総括してどうでしたか。
池田 彼ら(南野と鈴木)から学べるものが多かったけど、プレミア(高円宮杯JFAU-18サッカープレミアリーグ※)でも彼らと一つ下の日笠選手の3人が主に出場し、(自分には)あまり出番がこなかった。改めて3年間厳しい環境にいたと感じています。ただ、シュートであったりヘディングは通用する武器だと思いました。
※プレミアリーグはJリーグ下部組織を含むクラブチームと高校チームで真の日本一のチームを決めるためのリーグ戦。東西に別れた2つのリーグで年間通じて戦い、東西の1位チームが冬に優勝決定戦を行う。池田選手はプレミアリーグWESTに12試合(314分:うちスタメン3試合)出場し、2ゴールを決めている。
ーーJユースリーグなどで得点を重ねたり調子がいい時期もあったが、プレミアでの序列は変わらずメンバーを固定しているように感じた。
池田 チームの中では(調子の)いい選手が使われるという感じはしていましたが。どうなんでしょうかね。
ーーユースの練習はどのくらいの長さ?また高校3年間は大阪で寮生活?
池田 そうですね。茨木の山奥にある高校に通っていました。寮はスタジアムの近くにあるので自転車で25分ぐらいかけて通学していました。練習は日曜に試合がある場合は火水木金が練習で時間は1時間半か2時間程度。
ーー短い練習で序列を覆すのは非常に難しく与えられるチャンスをものにするのが非常に重要ですね。ハイレベルなチーム内競争があるチームであればなおさら難しい。G大阪で伸びたところはどんなところですか?
池田 ガンバのサッカーはボールを大事にする。ビルドアップであったり立ち方であったり…サッカーの賢さが若干身についたかと思います。
ーー入団当初、サッカーの違いなどで戸惑いはありました?
池田 そうですね。今の監督が来られたのが高2のタイミングだったので1年間は前の監督でした。今の監督になりサッカーがガラッと変わった。1年時の監督は今の監督ほどサッカーは難しくはなかったので多少戸惑いはありましたが、何とか。逆に高2のタイミングで【サッカーは難しい】と感じました。
ーー序列が変わらない中で日々のトレーニングはどういった気持ちで挑まれていましたか?
池田 うまくいかなかった時の方が多かった。気分の波はあったんですが、前向きに取り組めた時とそうでなかった時もありました。
ーーちなみにチームメイトとの関係性は?チーム外でもピリピリしているのか普通の高校生のように和気あいあい?
池田 普通の友達みたいな感じですね。日常生活からピリピリした感じはなく、皆んな仲がいいですね。
ーー中学生の時は選手権への憧れもあると思うのですが、ユースと高校サッカーで悩みました?
池田 悩んでないですね。(進路選択する時)最後、サガン鳥栖とガンバに絞ったんですがガンバを選びましたね。
ーー県外の強豪校も選択肢にあったようですが、滋賀のサッカー少年であれば草津東とかは考えなかった?
池田 あまり考えなかったですね。県内であれば近江かなと思っていた。
ーーJユースであればG大阪ジュニアユース(中学チーム)から上がってきた選手が多い中で、ユースからの選手は一定ストレスもあると思いますが、その中でも入団時に通用したと感じたところを教えてください。
池田 自分のストロングはシュートなので、そこは通用したなと。
MIOびわこ滋賀U-15時代
ーー池田選手の特徴として、シュートレンジの広さとパンチ力というのが良くあがると思いますが、ずっとシュートに自信があった?
池田 中学の途中から「あれ?これいけるな」と自信がつきました。MIOの時も中2の途中まではBチームでしたが、途中でシュートの強みに気づき自信を持ってプレーするようになりました。
ーー体格が急成長したなどの要因があった?
池田 いや、そんなことはなかったと思います。
ーー中3の春に日本代表候補に選出されていますがそれまでBチームだったということですか?
池田 中2の夏にはAチームに定着していましたね。
ーーなんとなく選ばれる予感はしていた?
池田 クラブユースの関西予選のガンバ戦に森山監督(当時のU15日本代表監督)が来られていて、タイミングが良かった。
ーーその試合で活躍して目に留まったんですね。当時のU15日本代表候補のメンバーを見ると凄い面々ですね。大迫塁選手(神村学園中高-C大阪)がいたり、南野遥海選手(ガンバ大阪U15•U18-ガンバ大阪)がいたりと。どのような期間でしたか?
池田 初招集で「どうしたらいいんやろう」と戸惑いばかりでした。Jヴィレッジの合宿で4人部屋だったんですよ。その同部屋が、南野と大迫と福井大智(サガン鳥栖U15/U18-バイエルンミュンヘン)だったんです。皆んな常連のメンバーででびっくりしました。自分は初めてやったので皆優しくしてくれましたけど(笑)
MIOびわこ滋賀U15で日本代表候補に選出されたのは後にも先にも池田選手のみ。
ーー中3の前と後で大きく環境が変わった。中3の前後でサッカーへの意識も変わった?
池田 シュートに自信を持つようになってからは、シュートを中心に置いてどう持っていくかなどを考えていましたが、それまでは何も考えてなかったと思います。(笑)
ーーMIOのサッカーはチームの色に当てはめるのではなく年によって変えていく感じ?
池田 そうですね。僕らの代は大きい選手が揃っていたのでわかりやすいサッカー、縦に早いサッカーをしていました。
ーーそれでクラブユース選手権も木戸選手(MIO-サガン鳥栖U18)と池田選手でバンバン点を決めていましてたね。クラブユースはベスト8まで進んだが結構自信があった?
池田 いや、僕らの話ではグループリーグ抜けたら大きいなと話していました。グループリーグには鹿島アントラーズとアビスパ福岡がいて「いや(勝ち上がるの)なかなか厳しいな」みたいな。関西予選もガンバ大阪、RIPACE、フレスカ神戸など大阪兵庫の1位•2位とかだったので厳しいと感じていました。
ーー前の年も先輩が帯広(クラブユース選手権)に出ていたので、自分達も出たいという意識はあった?
池田 そうですね。スタッフの人達も帯広(北海道帯広市:クラブユース選手権の会場)良かったとう話もしていたので行きたかった。
ーー関西で数少ない出場権をJ下部組織や大阪兵庫と争うので帯広に行くだけでも凄い。でも蓋を開けてみるとベスト8でアビスパ福岡にも大差で勝った。
池田 ただもう一回やれば負けると思います。全試合そんな感じです。準々決勝で当たったサガン鳥栖には勢いだけでは無理でしたね。(笑)
ーー大会通してチームと個人の成長は感じられた?
池田 はい、ありましたね。
ーーやはりそのような経験は大きいんですね。あの当時、MIOはどのリーグに所属していた?
池田 サンライズ2部ですね。2部で勝って1部昇格を決めました。
ーー1部リーグの面々に勝って全国の切符を掴んだわけですか。
池田 1部のチームに勝った記憶はないですね。うまいこと街クラブを倒した記憶が。(笑)
ーークラブユース選手権で活躍してメニコンに行ったと。メニコンは事前合宿はどれくらいあるんですか?
池田 合宿はないですね。前日に合流して、前日に練習を兼ねて同じ相手と試合をします。自分はメニコン前日はサンライズリーグがあったので試合出れていないですけど。
ーーぶっつけ本番?
池田 ぶっつけ本番ですね。前日試合したメンバーがスタメンだと思っていたので、自分の名前があってヤバっと思いました。(笑)
特別な経験をしている選手でも壁にはぶつかる
ーー初めまして、試合よろしく、さようならという凄いスピード感ですね。これまで、様々な選択をしてきて今に至っているとは思いますが、プレー面やサッカーの捉え方などで過去に戻れるならこれを取り組みたいなど、今だから考えられる過去の改善点はありますか?
池田 中学時代は特に後悔はありませんが、高校は色々もっとできたと思います。
ーー具体的には?
池田 (心が)折れちゃた時とか結構あるんで。その時間があったとしても、もっと短く済まして前向いて頑張れるよう立て直したいと。
ーーメンタルの立て直しはどうしていた?下部組織にはメンタルのトレーナーみたいなスタッフはいる?
池田 いないですね。寮でひたすら友人に話していました。
ーープレー的なところはなく、自身のマインドコントロールというところですか。ちなみにG大阪の練習メニューは週単位で変わっていく感じですか?
池田 いや、去年指揮してくださっていた明神さんは毎日異なる練習メニューでしたね。
ーー毎日ですか!?毎日練習の意図であるとかコンセプトみたいなのは示してくださるんですか?
池田 どちらかというと、土日の試合に100%のコンディションに持っていくため、強度を重点的に考えられていたように感じます。
ーーなるほど。その中でも練習の意図はしっかり意識していた?
池田 意図を捉えながらやっている日もあれば、こなしている日もありました。
ーー話は戻りますが、中学の時なぜMIOに入ったのですか?
池田 小1ぐらいからずっとMIOのトップを見ていたんですよ。クラブ自体が好きやったんですよ。
ーーMIOで好きな選手は誰?
池田 もう引退しましたけど永冨選手が好きでした。GKですが。(笑)
ーーそこはポジションが同じ坂本一輝選手(引退)ではないんですね(笑)
池田 坂本選手も好きでしたが、ずっと永冨さんが。
当時のMIOU-15は中学3年生の試合では前年のトップチームが着用していたユニフォームを着用していたらしく、中3で初めて11番の坂本選手が着ていたユニフォームをもらったときは興奮したとのこと。
ーー小1からMIOを好きになったのはきっかけは?
池田 家がむっちゃ近いんですよスタジアムと。で、見に行ってみようで、行ってハマりました。
ーーレイラック滋賀にチームが変わりましたが、寂しさなどはあった?
池田 ありましたね。サッカー始めた時からずっとMIO(が好き)でしたので。ただ、変えるならこのタイミングでしかないやろうなとは思っています。
ーーMIOは地域に根ざしていたんですね。
池田 そうなんですかね?(笑)でも、もっと大きくなってほしいです。
ーーそんなMIO愛があれば中学でMIOを選択するのは必然だったんですね。ちなみにMIOは全員県トレなどの噂を聞いたことがあるんですが、トレセンに入ってない選手もいました?
池田 いたと思いますよ。(全員県トレという噂に関して)まあ本人が選択してMIOに来ているわけですから。スカウトしていないんでMIOは。
ーー全員セレクションを受けるわけですか。
池田 そうですね。来たい選手が来ています。
ーー意識の高い選手が集まって、競争力が生まれ良い環境になっているんですね。それが結果に繋がりまた意識の高い選手が集まる。良い循環に入っていますね。
池田 そういう街クラブがJユースとかに勝ったら嬉しいと思います。
ーー確かに夢がありますね。ただ地元ではスーパーエリートの集まりでしょうけど(笑)MIOの時と、G大阪の時で印象に残っている試合を教えてください。
池田 MIOの時はクラブユース関西大会でガンバのジュニアユースとやった試合です。正直ガンバとやる時すごくビビっていたんですよ。ボコボコにされると。でも案外戦えて、結果は負けましたが、「やれるんじゃないか」と皆んなが自信を掴んだ試合だったかと。
高校はプレミアリーグの大阪ダービーです。基本プレミアのホームはOFA (万博フットボールセンター)で試合をしますが、本当にたまたまパナソニックスタジアムで試合ができました。突然OFAが使えなくなり、運よくパナスタが空いてたみたいです。平日の19時キックオフでしたがサポーターが850人ほど来てくれたんで。
この試合で池田選手はゴールを決めている。大阪ダービーでは結果を残すことが多いとのこと。
将来はもちろん…
ーー大学サッカー部の練習が始まっている聞きましたが、大学のサッカーの印象をお聞かせください。
池田 良くも悪くも自由な感じがあるので、そこに良い意味で慣れていかないとなと思っています。
ーーガンバのサッカーと大学のサッカーは対極なイメージがありますが。頭切り替えるのが大変ですね。
池田 そうですね。
ーー大学サッカーの4年間はどのように過ごしたいですか?
池田 やっぱりプロになりたいので頑張りたい。出来るだけ早く試合に絡めるよう頑張ります。
最後に
ーー今回お時間をいただいたのは、池田選手の経験を滋賀の中高生に知っていただく、還元することを目的にしています。今の立場から、昔の自身にアドバイスができるのであれば、どのような声がけをしますか?
池田 自分が足りなかったと思うのは技術的なところなので、止める蹴るであったりとか、技術面の重要性をアドバイスしますね。やっぱり来たボールがピタッと足元に収められれば、もっとシュート打てたのにと後悔した場面が多かった。やっぱり思ったところに止めれたらなんでもできるんで。そこは大事やと思います。
カテゴリーが、レベルが上がれば上がるほど難しくなっていく止める蹴るの技術。日々強度の高い環境でもまれたからこそ、その技術の重要性を身をもって体験・理解されているため、言葉に重みを感じました。サッカーを通じて良い時期も悪い時期も経験した中学・高校生活。取材を通じて華やかな経歴の裏で生じた苦悩や葛藤も少し感じられました。次のカテゴリーで活躍するための助走期間であることを信じて、今後の活躍を応援したいと思います。