MIOとの合併協議/クラブ経営/山内義博という漢|レイジェンド滋賀FCのあゆみ#3

2014年に下部組織、ジュニアユースチームを作り今年で10年目を迎える。そして2017年にジュニアのチームを立ち上げ、この春から1年から6年生まで揃い4種登録がかなう。

育成環境が徐々に整備され、トップチームは2019年シーズンから5年連続で1部に定着し昨シーズンは関西1部の得点王も生まれた。幾度となく困難な時期を経て、躍進への力を蓄えてきたレイジェンド滋賀FC。これまで2回の記事ではレイジェンドの変遷を公開した。

この記事ではもう一歩踏み込んで関西リーグに所属するチームの内情や、代表の山内氏の人物を掘り下げたい。

目次

練習場所が近江兄弟社のグラウンドである理由

長年レイジェンドはビックレイクを利用していたが、現在は近江八幡の近江兄弟社の小学校に併設されているグラウンドを利用している。

コロナ禍の中でビックレイクの利用が一時停止された時期があり、その期間でもリーグ戦は継続されていたため練習場所の確保に苦心した時期があった。

高校の人工芝グラウンドは徐々に増えているが、朝の練習に確保できる人工芝グラウンドはそれほどないからだ。

そこで山内代表は、前サッカー協会の会長であった松田保氏(現:ヴォーリス学園の副理事長)に相談したところ、兄弟社の人工芝Gが完成したということから、利用することになったようだ。

MIOびわこ滋賀FC(現:レイラック滋賀FC)との合併協議

2015年、滋賀県サッカー界に係る大きなニュースが報じられた。それはJFLに所属するMIOびわこ滋賀FCとレイジェンド滋賀FCとの合併協議だ。

当時の報道では合併の大筋合意し、両クラブを受ける新会社設立するという方向性という内容であった。

この話は、県サッカー協会が両クラブに話を持ち込まれた。当時、Jを目指しているチームはMIOとレイジェンドの2クラブであったこと、滋賀県の規模からすると一つのクラブに資源を集中した方が効率的にJを目指せることなど、諸々の思惑があり協会がMIOとレイジェンドの間に入り合併を目論んだ。

何度も協議を重ねられ、大筋合意の報道も出ていたが、実際のところは具体的な話に進む前に暗礁に乗り上げたようだ。

合併の目的がどちらかのチームの事情によるものではなく第3者からの提案であったため、当事者達は自身のチームを無くしてまでの合併の必要性を感じず、またカテゴリーやチームの色が合わないこともあり話は一向に進まなかったようだ。

余談であるが、今でも当時の合併協議の関係者の方からは似たような話があり、冗談交じりに合併を催促されるとのこと。

また、この合併協議においてはレイジェンドがJFLに上がらないから話が進まないという文脈で批判を浴びることもあるようで、地域のために県のサッカー界のために尽力しているクラブ関係者にとっては気の毒な話である。

地域リーグのクラブ経営とは|クラブが地域にもたらすもの

JFLのチームの運営費は1億以上かかるというのはよく聞く話。

何せJFLへの年間登録料が1千万でそれに全国各地で行われる試合の遠征費が多額で、それに加えてプロ契約選手の年俸やスタッフ等の人件費を考えれば、1億程度では心許ないかもしれない。

では地域リーグのクラブ経営はどうだろうか。

聞いた話によると、練習場の確保・遠征費・スタッフの人件費などの数千万程度の予算が毎年必要になるとのこと。

またレイジェンドにはプロ契約の選手は在籍していないが、選手が働きながらサッカーを続けてもらうために様々な工夫している。

よく地域リーグのクラブである話が家賃補助であったり給与に上乗せするサッカー手当の支給。

レイジェンドはこれらの手当を支給しているかはわからないが、獲得した選手が住む住居はクラブが探し、またサッカーと仕事が両立できる働き口を必ず探すという。

クラブが選手にかける労力は多岐にわたっており、特に代表の山内氏は選手がサッカーに集中できる環境を整えるために日々邁進している。

レイジェンドのクラブ活動が、地域経済にもたらす効果は確実にあるとともに、例えプロ契約ではなくとも仕事をしながらサッカーが続けられる環境がこの10数年で格段に整ってきたことが分かった。

選手が夢を好きなことを追い続けられる環境の整備に尽力されている、全ての地域クラブ関係者の尽力によるもの、またサッカーに理解のあるスポンサーのお陰である。

山内代表はどんな人物なのか|取材を通じて分かったこと

初対面だったが気さくにお話ししていただいた

最後に代表の山内氏に触れておきたい。京都出身の山内氏は京都学園高校(現:京都先端科学大学附属高校)を卒業後にルネス学園甲賀を経て東レTOPでプレー。

現役時代はボランチとしてプレーし、滋賀県の国体選手としても活躍。ルネス学園時代にはガンバ大阪の練習にも参加しているほどの実力者。

2005年から4年間、同クラブの監督を務めた後、TOJITSU SHIGAの代表となる。以降、レイジェンドの名称変更後も同クラブの代表を継続されている。

現在はクラブの代表 兼 強化部長 兼 U15監督を務め、2足どころか3足のわらじを履き多忙な日々を送られている。2017年までは会社に勤められていたが、ジュニアチーム立ち上げに伴い仕事との調整がつかないため退職された。

年間通じてお忙しいようだが、12月から2月は特に忙しくスポンサー周りや選手の獲得、住居や労働環境の調整など代表と強化部長の仕事が多忙を極め、その時期が終われば育成組織の入•卒団やトップのシーズン開幕に繋がっていく。

取材を依頼したのはその多忙な時期の真っ最中であったが、快く引き受けていただき大変有り難い機会をいただいた。お話はユーモアを交えながらテンポは良くまとめていただき、当初予定していた取材時間を大幅に超える2時間以上の時間もいただいたが、あっという間に感じた。

これまで3回にわたりレイジェンドFC滋賀をとりあげた。決して華やかな世界ではないが、そこにはサッカー、地域のために尽力続ける人達がいた。取材中、最も驚いたことが前述に記載しているよう、雇用面、経済面での地域貢献。サッカー、スポーツを核とした街づくりというものが見えた気がする。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

コメントする

CAPTCHA


目次