セクシーフットボールの現在地|青年監督が想い描く野洲とは

平成における滋賀のサッカー史における一番のトピックスは第84回全国高校サッカー選手権大会での野洲高校の躍進だろう。

結果は周知のとおりで、センス・テクニックを基にパスとドリブルを組み合わせた「セクシーフットボール」で数々の強豪校を破り、県勢初の優勝をおさめた。また決勝戦での決勝ゴールは、セクシーフットボールの象徴的なゴールとして、ファンの間では語り草となっている。

高校サッカー史上最も美しいゴール

あれから15年以上経ち、現在滋賀でサッカーに夢見る子どもたちは、当時の野洲旋風を知らないのは少し残念に思うが、令和は令和で私立高校の台頭であるとか、社会人サッカーの盛り上がりなど、新たな風が吹いているのでそれはそれで面白い。

目次

野洲高校の現在

さて、そんな野洲高校の現在はというと、県大会で上位に食い込めないほど苦戦が続いている。近年の選手権予選の成績は次のリンクを見ていただきたい。

優勝後に期待される世代は何代もあり、県大会では6連覇を果たす黄金期もあったが、2016年度の第95回大会以降は全国の舞台から遠ざかっている。

指導者の退任や有力選手の確保が安定的にできないなど公立高校の難しさが1番の要因か。また野洲の優勝後は他校でもテクニックを重視したため、野洲の優位性がなくなったことも影響しているのか。さらには、野洲・セクシーフットボールという固有名詞(ブランド)を守ることに固執したため結果が残せなかったのか。

様々な憶測ができるが、いずれにしても現在の状況は、セクシーフットボール旋風を直に体感したファンとしては少し寂しいところだ。

さて、前置きが長くなったが、県大会でもベスト4を前にトーナメントから消え去ることもある近年の野洲高は、いま新たな転換期を迎えている。それは、優勝後に最も期待されていた2008年世代の中心選手(正GK)であった横江 諒さんが昨年の春に野洲高の監督に就任したからだ。

全盛期の野洲高を知る横江監督はどのような方なのか、現在の野洲にどのような想いを抱いているのか知るべく直撃した。

選手時代の経歴から横江監督の人物を知る

野洲高校サッカー部監督 横江 諒さん
生年月日:1991年3月9日
ポジション:GK
経歴:山田SSS-セゾンFC-野洲高校-関西学院大学-守山侍
高校3年時の成績:全国高校総体出場(1回戦 2-3前橋育英),高円宮杯全日本ユース出場(ベスト8),第87回全国高校サッカー選手権大会出場(2回戦 2-3鹿島学園)

高校時代

ーー横江監督は全国優勝した際の正GK下西選手の系譜を継ぐ正統派GK。守備にフォーカスする印象がないセゾンFCに進んだ理由を教えてください

横江 小学校は山田SSでサッカーをしていて、そこのコーチの息子がセゾンから静学に進んでいた。セゾンの昔の練習場が実家から近かったのでコーチの勧めもあってセレクションを受けた感じですね。

あと、小6の時に練習見学にいったら、ちょうど全国優勝されるメンバーの方々が練習してはって「なんやこのサッカーは」と衝撃を受け、こんなサッカーするチームが近くにあったんやとわかって、セレクションを受けました。

ーーセゾンから野洲への進学は迷いなかったですか?

横江 小学校の時に草津東が全国準優勝をしたのを見ていて。あれにすごい憧れて、僕は草津東に行くってずっと言っていましたね。野洲高校に決めたのは進路を決定するギリギリのところでした。県の選抜に入っていたけど皆んな野洲に行くと言ってたし、みんなとサッカーをしたいなと思って野洲に変えましたね。

ーー当時のセゾンはみんな野洲の流れだった

横江 優勝世代の人たちが(セゾンから野洲に)行って、地元のあそこで、こんなグラウンドで練習をしていたお兄ちゃん達が、全国行って憧れの選手権で優勝されたのを見て、すごく夢を与えてもらって。そういうのもあって野洲に決めた。また岩谷監督も野洲のコーチをされてはりましたし。

ーー高校時は優勝世代につぐ期待されていた世代で、実際に高円宮杯で全国ベスト16に入るなど実績もある。どの試合が印象に残っていますか?

横江 色々ありますけど。市船戦もそうですし、ただ今の自分の原動力になっているのは最後の引退した試合ですかね。選手権の2回戦で鹿島学園に負けた試合。

3点目が僕のミスでクロスボールかぶって、折り返されてがら空きのゴールに押し込まれた。あれで終わってしまったというのが、今の原動力になっている部分ではあります。

期待されていたのは高校生ながらに感じていました。優勝候補と言われているのもちらっと聞こえてきていたので。そのチームを自分が終わらせてしまったというのがすごい心残りです。

ーーベスト16になった高円宮杯を見返すと、原口元気選手など、後にプロで活躍される選手が多く出ていた大会。すごい面々と戦っていたんだと感じますね。

横江 そうですね。個人的には中村充孝選手(現在は岩手でプレー。市立船橋-京都サンガ-鹿島アントラーズ-山形)にFKぶち込まれたのはすごく印象に残っている。またドン引きされて敗れた作陽高校戦も印象的。

ーー今でも野洲高時代の同期とは繋がっている?

横江 僕らの世代は集まりがむちゃくちゃ悪いです(笑)でも先日久しぶりに集まって高校時代を懐かしみました。

ーー同期はサッカーと繋がっている人が多いですね。セゾンの潮入監督やグラビスの林監督など。

横江 野洲出身の指導者は多いですね。他に美濃部(エフォートFC)やレオ(ルーアFC)とか。

大学時代

関学時代の横江監督(後列右端)※写真は本人提供
ーー関西学院大学サッカー部はどんなチームでしたか?

横江 野洲高校とは真逆のチーム(スタイル)でしたね。主体的に物事を考えて人間力を高められました。本当にいろんなことに真面目なチームでしたね。

ーー野洲で慣れたら大学のチームへの順応は難しそう

横江 野洲の同期も大学行ってからサッカーを辞めた奴も結構います。当時の大学は蹴るチームが多く、練習でも素走りがあったりと、当時の野洲と全く異なるチームが多かった。

ーー関西学院大学時代を振り返るといかがですか?

横江 1年生の時は加茂周さんが監督で。「感謝・プレス・魂」のサッカーでゾーンディフェンスで。守備しまくってコーナー取りに行ってセットプレーでドカンっていうサッカーでしたね。

2年に上がる時に今JFLのクリアソン新宿で監督されている成山さんが監督になられました。また4年の時にヘッドコーチが抜けられ、現在近江の監督をされている前田さんがヘッドコーチに来られました。

ーー近江の前田監督とそこで繋がっているんですね

横江 自分は教育実習の関係で5年大学にいまして、5年の時はスタッフとして関学サッカー部に関わっていたので、そこで前田さんと一緒にやっていた間柄です。

関学でスタッフをしていた時は現近江高校の前田監督がヘッドコーチで在籍していた(左から3人目が横江監督)
※写真は本人提供
ーー大学時代の成績はどうでしたか?

横江 僕らの代は弱かった。前期9位とかで2部に降格しそうな時、伝統校なのでOBから厳しいご意見があって。後期は盛り返して残留したんですけど。伝統校の難しさを感じた。

僕らが4年の時の1年が強く、小林成豪(現レノファ山口)や呉屋大翔(現ジェフユナイテッド千葉)など、後に4年になった時に大学4冠(関西学生リーグ・関西学生選手権・インカレ・総理大臣杯)するメンバーがいたので、1年生頼むぞという感じでしたね笑

これまでの赴任先から指導者像を知る

横江監督。初対面にも関わらずざっくばらんにお話いただき感謝です。

甲南高校

ーー次に指導者になってからのお話を伺いたいと思います。最初に赴任された学校は甲南高校ですか?

横江 最初の赴任先は神戸大学附属中等教育学校っていう神戸大学附属の国立学校で、そこで1年講師をして滋賀の採用試験を受け甲南高校に配属となりました。

ーー神戸大学附属中等教育学校?サッカー部の顧問も?

横江 中等教育学校は全校集会を英語で行うなどの超進学校でした。講師にいた時が高校3年まで揃った年で、サッカー部の顧問を任されました。当時、サッカー部の生徒にワーワー言うてましたけど、卒業後の進路を見ると東大に進学する子がいたり驚きましたね。その後、甲南高校に7年いました。

ーー甲南高校では7年間サッカー部の顧問?

横江 そうですね。野洲高の監督だった山本佳司先生が甲南高校の教頭で、2年間一緒でした。

ーー甲南高校は野洲高と違ってサッカーで上を目指す子は少ない印象。野洲高での指導も難しいと思いますが、甲南高校の7年間振り返っていかがですか

横江 最初は6人とかで練習していた時もありましたね。練習は4対2を2時間やって帰ろうかとか。

練習試合行って、FWからボランチまでは甲南高校の生徒、DFラインは色々な高校の卒業生、GKは自分とかで試合に臨んだりとか、夏に引退した野球部の子が「サッカーやりたいです」と言ってきて、みんなで選手権を目指すって言うのも最初はありましたね。

ーー7年間お一人で見ていたのですか?

横江 いえ、自分はコーチで監督は上山先生という方でした。上山先生は30年以上甲南高校におられるんですよ。30年間で部員は一人になった時もあったと聞いています。そういう時期もありながら耐えて、ずっと繋いで来られている。これも高校サッカーなんやなと思いましたね。

ーー高校サッカーは強豪校だけのものではないですよね。高校ごとに色んな歴史があるんでしょうね。競技面で言うといかがでしたか?

横江 すごい一生懸命やるんですよ。甲南高校の子たち生徒は。上手いか下手かと言ったら技術的にまだまだな子もいるけど、絶対最後まで笛が鳴るまで走るし。足がつろうがなんであろうが最後まで絶対でやるんで。

まあ、トップのチームはたくさんあって、もちろんそこを目指すんですけど、(トップではない・トップを目指していない)そいういう子たちがいて、そういう子たちも頑張っているというのを知れたというのは、指導者としていい経験だと感じています。

ーーすごいですね!純粋にサッカーが好きだから頑張る子が多いのでしょうね。

横江 そうですね。卒業後はほとんどの子が就職しますしね。

ーー上山先生はよほどサッカー好きなんですね。部活動を30年間見てこられたというのは。

横江 好きやと思います。ベンチとか更衣場所とか全部自分で作ったり。グランドの草刈りとかも全部するし。本当に凄いですね。凄く良い人で優しい人なので子どもらがたまに馬鹿にしたりするんですが「部活があってサッカーができているのは、(上山)先生がずっと、そういう時期も繋いでこられたから今があるねんで」というのを生徒には必ず話してました。

ーー部員が1名とかであれば学校としては廃部の話が出てきそうですよね。

横江 合同チームになろうが、野球部であろうが他の部員をかき集めようが、何としてもチームを繋いでこられはって。そのような歴史があり、また子どもたちも凄い頑張る、そんなチームでしたね。

希望が通り2022年4月から母校に配属

ーー母校の監督の就任に甲南高校との違いや、選手時代の野洲高校と今との違いなどで戸惑いはありましたか?

横江 ありましたね。まずコーチと監督の立場の違いが大きかったです。

ーーコーチと監督の違いについてもう少し教えてください。

横江 決断、責任が違いますね。野洲は保護者の期待もありますし、様々な目線もありますし。結果もありますし。野洲っていうのは勝つだけではだめ。

ーーそれは大きいですね。バルサみたいな感じで結果だけでなく内容も求められそうですね。

横江 そうですね。勝つだけでは何やっているのっていう感じですしね。けど、昔ほど野洲や野洲やっていうのはないですかね。どちらかというとチャレンジャーで、偉そうにする時代はとうに終わっています。

ーー2022年シーズンはインハイはベスト16、選手権はベスト8で終わった。1年間を振り返ってどうでしたか。

横江 野洲は全国を目指しているチームですし、全国に行かないといけないという思いはありましたが…監督としての器が足りなかったというのを感じた1年でしたね。挫折しまくりの1年間でした。また3年生には最後、不完全燃焼な試合をさせてしまったのは心残りであり、謝りたいところです。
※教員としての初めての異動かつ国体の監督も務められており多忙な1年であったようです。

ーー挫折というと?

横江 野洲の生徒はパワーがあって一筋縄ではいかない。信用してもらうのにそれだけの技量や人間性など、指導者としての力がないと生徒を振り向かすことができない。指導者としての、あるいは教師としての力不足やなと色んな場面で感じました。野洲に来ている子どもたちはプライドも一定あるし、それを上回る成長をさせたり、上手くさせたりする力がないと駄目やなと。

ーー今の野洲高校サッカー部の技術的な面について、監督から見るとどうでしょうか。

横江 上手い選手や力がある選手はいます。けど、夢を持ってないというか、持たせてあげられていない。プロになりたい、全国に行きたいなど口には出すんですが、それがイマイチ実感していないというのか、本当に思っているのかわからない。それはこちら(監督や指導者)の責任なのでしょうけど。

ーー個々は強豪校と比べてもひけはとらない?

横江 上には上がもちろんいるんでしょうけど。(特に違うのは)想いの強さですよね。自分を含む昔の人達は優勝した人を目の当たりにして、「自分もあのようにやりたいなと」思って入学して、(自分たちは全国優勝は)叶いませんでしたが。

自分の2歳上の人たちはプロになって、ワールドカップで得点したりする人がいますし、野洲だけではないですけど、日々強い想いを持って過ごしてこられたからこそ活躍されていると思う。今の子たちは果たして強い想いを持っているのかな?と思います。

昔は練習終わって、電気消えるまでグラウンドに100人ぐらいが自主練習しているようなことがありましたが、今はそのようなこともないですし。努力している選手もいるとは思いますが、果たしてそれで自分の言っていること(プロになりたい。全国に行きたい)は叶えられるのかな?と。

ーープロと全国が身近にあった時代と違うんですね。

横江 そうですね。ただ、それを子どもたちの責任にしていたら、自分たちが居る意味がないと思いますので。そのように思わせているのも自分たちの力量なのかなと。そのような子たちに夢みさせて届くんだよ、と思わせることが課題ですね。

ーーポテンシャル的にはもっと上を目指せる子がいるが、意識的なところが‥というところでしょうか

横江 そうですね。それをどうやったらサッカーに集中してくれるかな、というのを毎日悩んでいます。

今後の展望について

ーー野洲の育成方針は世界から逆算して・・とありますが、今の野洲はどういうところを目指していますか。

横江 カチッと何かを選手たちに掲げていることはなく、自分が考えていることですが。

滋賀の地元のお兄ちゃんが、ワールドカップでベルギーからゴールを奪って、日本のヒーローとなって世界で活躍しているというのが自分の原体験としてあります。なので、誰にでも可能性があるよっていうところを見せたいなと。それができるのが(野洲の)サッカーやなと思っています。

他の種目であればフィジカル(身長や足の速さなど)で勝敗が決まることもあるが、サッカーは世界中で同じルールでフィジカルに劣っていてもやりようがある。自分の良さを出せば世界で戦えると考えていて、だからこそ滋賀の田舎の公立高校でも可能性があることを見せたいなと思っています。

凄く選手のレベルも高くなっていて、自分が選手の時の高校サッカーとは状況が変わっている。私学やJユースとは違う公立高校だからこその打ち出せる価値があると思っている。滋賀の田舎のお兄ちゃんたちでも色んな価値があるというのをサッカーを通して世の中に見せていきたいです。

インタビューを終えて

はっきりとした口調、矢印を自分自身に持っていこうとする言葉選びが印象的で、短時間でしたが横江監督の責任感の強さ、芯の強さを感じました。

赴任先の甲南高校と野洲高校では歴史や在籍選手の思いなどは全く異なりますが、どちらも【高校サッカー】の一部であり、根本はサッカーが好きな高校生の部活動であるということ。横江監督の話を聞いていると、自分自身、高校サッカーの見方を改める必要があると感じました。

なおインタビューの最後に「現在県内チームの指導者には野洲高校のOBが多数。また大学の指導者にもOBがおり、関西サッカーに野洲が根付いている。そのような方々に野洲高を想ってもらえるチーム作りをしていきたい」という意気込みも。

野洲高校サッカー部の卒業生は、指導者に進む方が多く、特に県内のジュニアユースチームで指導をしている方は多くなっている(セゾン/エフォート/LUA /グラビス など)ことから、中学生に進路で野洲を選んでもらえるようなチームにしたいとのこと。

高校サッカーに旋風を巻き起こし、一時代を築きあげた野洲高校だからこそ、打ち出せる・見せれる何かがきっとあると思います。今後の野洲高校サッカー部の動向に目が離せません。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

コメントする

CAPTCHA


目次