苦しかった。悔しかった。けれど楽しかった。戦い抜いた3年間の足跡は次の一歩に|草津東高校サッカー部インタビュー

間も無く2023年度が終了するが、今年度の滋賀の高校サッカーをけん引したのは間違いなく近江高校だ。

2年生で全国の舞台を経験した多数のメンバーが最終学年となった近江は、県内三冠(新人戦・インターハイ・選手権)を達成し、プリンスリーグ、選手権ともに好成績を残した。

近江が輝かしい成績が残す一方、悔しい形で高校サッカーに終止符を打った選手は大勢いる。今回は県内全ての大会で近江と死闘を繰り広げた草津東高校サッカー部の卒業生にお話を伺った。

目次

昨年に続き、草津東高校サッカー部の卒業生を訪問

今回、草津東高校様のご協力によりお話を伺えたのは次の3名。

小楠 聡太さん(志津SSS-セゾンFC)
塩尻 狼太さん(仰木SSS-青森山田中-SAGAWA SHIGA FC)
梅辻 奨さん(FCジュニオール滋賀-京都サンガSETA滋賀FC)

まず中学から高校入学にかけて振り返りたいと思います。3人は中学時代それぞれ別のチームに所属していましたが、そのチームを選んだ理由をお聞かせください。

(小楠)MIOに行こうと思いましたがセレクションに落ち、セゾンに受かったので行きました。

(塩尻)中学は青森山田中に通っていましたが、サッカー以外の理由で学校を辞めて、中1の冬に滋賀に帰ってきました。そこから通えるチームを探しSAGAWAに入りました。

(梅辻)小学校からのチームメイトの中西怜也(京都サンガSETA-草津東)がSETAに行くということもあったのですが、SETAを見に行った時にサンガから派遣されているコーチがいて、そのコーチに教えてもらいたいと思い選びました。

左から梅辻さん、塩尻さん、小楠さん
中学で伸びたところを教えてください

(小楠)足元の技術は伸びました。人間性は・・・

(塩尻)セゾンの試合は怖かったです。小楠が一人おらついていて笑

自分はもともと持久走は速い方でしたが中学でさらに伸びました。けれど試合になかなか絡めなかったのでSAGAWAでの2年間は悔しい思い出しかありません。正直なところ小学生の時は上手かったのに、中学校の3年間で下手になってしまいました。

周りに抜かされ、周囲に色んなことを言われた時期もあり悔しかったですが、その悔しさが高校でのモチベーションに繋がったと言う点では良かったのかもしれません。

(梅辻)SETAでは戦術面を結構言われましたが、当時は言われたことを半分ほどしか理解できていなかったです(笑)まあ、ある程度は理解できたのでサッカーIQは上がったのかなと思います。

滋賀にも特色のあるチームが増えていますが、中学生の3年間は何に取り組むべきでしょうか。

(小楠)中学生はがむしゃらにサッカーを楽しむのが大事なのかなと思います。

(塩尻)草津東では運動量や走力が評価されて試合に出ていましたが、小学校の時はドリブルが得意でした。得意なプレーをサボらず、伸ばし続けていたらもっと違う形でチームに貢献できていたのかなと思います。基礎技術をもっと磨いておけば良かったです

(梅辻)SETAで自分の役割はフィジカルを活かした縦に早いプレーでしたが、学年が上がるにつれて通用しなくなりました。そのためやっぱり足元の技術が大事なのかなと。

ありがとうございます。3人とも小学生の頃から知っている中ですか?

(梅辻)小楠は中学校で知りましたが、塩尻は小学校の時から知っていましたね。ユニクロのCMで。

ユニクロのCM⁉️

(塩尻)小学生の時は有名でして、ユニクロのCMに出たこともあります。自分で言うのもなんですが、小学生の時はめちゃくちゃ上手かったんですよ(笑)それでCMのオファーがあり、撮影のため東京に2回ほど行いきましたね。

(小楠)全盛期やったな笑

(梅辻)誰でも知っていたな笑

塩尻さんが小学生の時に出演したユニクロCMを発見!!

草津東高校の進学理由を教えてください。

(小楠)野洲高校に行こうと思っていましたが、1学年上の渡邉良くん(セゾンFC-草津東-同志社)に誘われたので、草津東にしました。

(塩尻)中学から勉強も頑張っていたので文武両道の公立でサッカーが1番強い草津東を選びました。

(梅辻)中学は県立中に通っていて推薦はなく一般入試が前提でした。公立で一番強いのが草津東だったため選びました。

草津東サッカー部で記憶に残った練習を教えてください。

(小楠)馬鹿広い1対1のボールキープが一番の思い出です。

馬鹿広い1対1??

(塩尻)コート一面を使って1対1をする、追いかけっこのメニューです。サボっていたら怒られます。

自分は9泊10日の九州遠征帰りで、帰ってきた後の練習はきつかったです。

遠征帰りでオフを挟まず翌日に練習があったということですか?

(塩尻)いえ、フェリーで帰ってきたのが朝方でして、そのまま練習をしました。また、ラグビーのサンドバッグを使ったメニューが印象に残っています。

サンドバッグ?草津東ってラグビー部ありましたか?

(塩尻)ラグビー部はありません、監督が買って来てくれました。自分たちは体幹が弱かったので、サンドバッグで相手に当たられながらシュートするなど、様々な場面を想定したメニューがありました。

(梅辻)3年の夏に1回だけしたランメニューがきつすぎて印象に残っています。

一つ上の世代はテニスボールを使ったミートを意識したトレーニングがあり、この世代はサンドバッグを使用したトレーニング。各年代の課題を克服するためのメニューのようだ。

3人がAに絡んだのはいつ頃ですか

(小楠)1年の冬の選手権ではメンバーに入っていましたが出場はできませんでした。試合に出たのは2年のインハイからです。

(塩尻)小楠はずっとAでしたね。選手権初戦の前橋育英で電光掲示板に小楠の名前があったのはめっちゃ嬉しかったです。

(小楠)ワンチャン出番があるかと思ってたわ(笑)

(塩尻)点差が開いていたので小楠に出番が回ってくるのではと期待していましたね。この3人でAに上がったのが1番遅かったのは自分です。

(梅辻)自分は1年の選手権が終わった後にAに入り、2年生のインターハイは出させてもらいました。でもBとAは全然違いましたね。

上手い上級生、結果を残す下級生に挟まれた苦悩と悔しさ

BとAはどう違いましたか?

(梅辻)一つ上の代は本当に上手かった記憶があります。

(小楠)一昨年の選手権予選でまさか県内で負けるとは。そう思えるぐらい上手かったです。

(塩尻)本当に上手かった。自分が3年生になって思いますが、自分が当時のあの人達のようにできていないので、改めて本当に上手かったんだなと思います。

自分たちの世代はどうでした?

(小楠)自己主張があまり出来ない世代で、監督の指示に対して意見をすると言うことはあまりなかったです。

(塩尻)経験が全然違います。一つ上の世代は上級生の試合に絡んでいた選手が多く沢山の経験を積まれていましたが、自分たちの代は上が強かったこともあり、上級生の試合にあまり絡んめませんでした。そのため自分たちの代になってからは遠慮というか緊張がありましたね。

(梅辻)でも入学時にサッカー部のメンバーを見て、自分達の世代は良い選手が揃ったなと思いましたけど。

外からの視点ですが、この世代は良い意味でメンバーが固定されておらず、誰が出ても試合ができると言う強みを感じました。あと1つ下の世代の多くが試合に絡んでいましたね。

(小楠)そうですね。この件に関しては3年間で1番悔しかった思い出がありました。

どのようなことですか?

(塩尻)スタメンの半数が下級生だった時期があり、小楠が「3年生でも上手い選手が沢山いるので使って欲しい」と、監督に直談判したことがあります。しかし監督からは、2年生を中心でチーム作りをするとの返事があったようです。それを聞いて凄く悔しかったです。

(梅辻)その時は、3年生だけで集まって話しましたよ。下級生の選手を中心にメンバーを考えるのではなく、その年代の特色を活かして欲しかったです。

(塩尻)当時、リーグ戦で下級生が結果を残していたので、そのような判断をされたのだと思います。結果を残せなかった自分たちも悪いのですが…

自分たちの代は、誰が出ても良い連携ができ、出ている選手によってサッカーを変えられる柔軟性が特徴です。そこをもっと見てもらいたかったです。

全ての公式戦の決勝で合間見えたライバルの存在

全ての公式戦で近江高校と当たり、接戦の末敗れています。その近江が全国で躍動しました。

(小楠)敗れた時は悔しかったけど、今思うと(近江は)強かったなと。全国での躍動を見て、近江と延長まで戦えていた自分たちも強かったんだなと思いました。

(塩尻)新人戦、インターハイと敗れ、最後は勝ちたいなと思っていましたが、今思うと自分たちが全国に出たとしてもあそこまで戦えていなかったと思います。近江が滋賀の強さを全国に示してくれたので、今となっては近江が出てくれて良かったと思います。

(梅辻)近江はライバルと思いながらも、自分は金山選手のプレーを見て試行錯誤して成長できた部分があります。最後は勝ちたかったけどリスペクトしていたところもありますね。

結果は同じく延長戦での敗退でしたが、外から見ているとインターハイと選手権では試合内容が大きく異なっていたかと思います。実際、ピッチに立っていてどう感じましたか?

(小楠)選手権では自分たちが近江を上回れていた時間が長かったので、インハイ予選からの成長を感じました。

(塩尻)インハイは勝てるビジョンが見えなかった。攻撃の時間もわずかで勝つとしてもPKかなと。しかし選手権では周りがチャンスを作ってくれて、惜しいシーンもあり勝てるのではないかと思っていました。

(梅辻)自分は決勝はピッチに立てなかったですが見ていて思ったのは、後手に回っていたインハイに比べ、選手権では初手のセットプレーで惜しいシーンを作っていたので勝てるのではと思いました。夏より球際や守備の連動などが良くなったと感じました。

インターハイで敗れてから冬にかけてチームはどう変わりましたか?

(小楠)スタメンの入れ替えが増えましたね。

(塩尻)予選では夏と冬で大きく変わりましたが、決勝はインハイと同じでしたね。他には、カップ戦に参加することが増え、西武台、桐光、岡山学芸館などの県外の強豪校や大学とのTMが増えました。

AとBの入れ替えも活発に行われていましたか?

(小楠)Aの中でスタメンの入れ替えが多かったです。

(塩尻)BからAに上がるケースはほとんどなかったと思います。Bの主力である3年生の多くがインハイで引退し、Bが弱くなるのを防ぐためにAからBに多く移ったタイミングもありましたが。

新チームで期待する選手とその理由を教えてください。

(小楠)寺川剛正ですね。普通に全てが上手いなって思います。

(他二人)あれは普通に上手いな。身体も強いし足元もあるし。寺川は一時期を除きずっとAに絡んでますね。Aの試合で裏抜けをサボった時に、Bに落とされてはいましたが。

(塩尻)CBの寺田大翔です。自分はバックラインで一緒にプレーをしていたのですが、守備が苦手な自分を凄くカバーしてくれて頑張ってくれたので。あと凄く良いやつ。

(梅辻)力石龍之介です。一人でドリブルで持っていくタイプでパスは出しませんが、一人で持っていける力がありますし、ドリブル中に対峙した相手の膝の角度とかを見てるって言う話を聞いて、単純に凄いなと。

では最後に、草津東高校での3年間を一言で教えてください。

(小楠)サッカー中心の生活で苦しいこともありましたが、楽しかったです。

(塩尻)青森山田中に行ったことで、両親と祖父母には本当に負担をかけたので、それを恩返しするために高校サッカーを頑張りました。また、苦しいこともありましたが、試合に出るという目標を実現するために練習を頑張った3年間です。

(梅辻)濃くて早かった3年間。学校生活も楽しかったですが部活に熱中しました。人間性も成長できたので部活をやっていてよかったと思います。

楽しくもあり悔しくもあった3年間。もしかすると辛く、苦しい思いをした時間の方が長かったかもしれません。夢の舞台には届かなかったけれど、一つの目標に向かって仲間と切磋した時間やその経験は、今後の人生できっと活きると思います。今春卒業されたサッカー部の皆さん、次のステージでの活躍も応援しています。

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